HOME > もっと知りたい方へ > G8サミットについて
メールマガジン 寄附のおねがい 応援メッセージ G8サミット市民フォーラム北海道 Japan Youth G8 Project

 
G8サミットについて

G8サミットとは?

G8サミットとは、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシアの8カ国の首脳とEUの委員長が参加して毎年開かれる会議です。会議は持ちまわりで1年に1カ国が議長国となり、首脳会合の他に外相大臣や財務大臣の会議も開催されます。サミットでは、国際的な経済、政治、社会の課題について話し合い、その成果が議長総括や宣言という形でまとめられます。

G8サミットのはじまり

サミット(主要国首脳会議)は1975年にフランスのジスカールデスタン大統領の呼びかけでフランス、イギリス、アメリカ、西ドイツ、日本、イタリアの6カ国が参加して始まりました(カナダは翌年から参加)。サミットの最初の目的は経済問題を話し合うことでしたが、年月を経てサミットはどんどん変化していきます。サミットが始まった頃はオイルショックとそれに続く世界不況の時代でした。先進諸国が経済政策を一致させて困難を乗り越える必要があったのです。そのため70年代後半のサミットでは、ほとんど経済関係の問題が話し合われています。

1980年代に入ると、米ソの緊張関係が高まります。そのためサミットで、政治問題が話し合われることになります。ソ連のアフガニスタン侵攻や核兵器の制限交渉が滞っていることに対して、各国首脳はサミットも活用して対応しようとしたのです。しかし、80年代後半に入るとまた状況が変わります。ソ連を変化に導いたゴルバチョフがソ連のトップとして出てきたからです。ゴルバチョフの登場により、米ソの緊張関係は緩んでいきます。そのため、サミットでも政治問題ではなく経済問題が再び話し合われるようになったのです。

1990年代に、サミットはさらに変化をしていきます。取り扱われる問題領域がさらに多くなってきたのです。例えば、環境問題や地域紛争、貿易問題、対ソ連の支援、労働問題、重債務貧困国対策などです。サミットは、これらの多様な問題について解決の処方箋を示そうとするようになってきたのです。この他に90年代のサミットの変化といえば、97年にロシアがサミットに参加するようになったことです。ここからサミットはG7からG8になります。

NGO、市民社会のG8サミットへの関与

2000年代に入ってからの大きな変化は、サミットへの市民社会の関与です。市民社会、特にNGOにとって、ひとつの大きな転換点となったのは、1999年のケルンサミットでした。2000年までに重債務国の債務を帳消しにすることを目的に始まったジュビリー2000は、政府へのロビーイングを展開したり、人間の鎖を作ったりして、サミット首脳に働きかけました。その結果、サミット首脳は大規模な債務削減に合意したのです。NGOがサミット首脳を動かしたよい事例といえるでしょう。

その後、波はありつつもNGOはサミット諸国に働きかけを続けてきました。1999年に続く例として、2005年イギリスで開かれたグレインイーグルズサミットが挙げられます。この年、イギリスを中心に世界中のNGOが連携し、運動を展開しました。貧困問題に取り組む代表的なNGOのネットワークであるGCAP(Global Call to Action against Poverty)はホワイトバンドキャンペーンを展開し、貧困と不平等の問題を訴えました。その結果、サミット首脳は途上国支援の大規模な増額に合意したのです。

NGOによるサミット首脳への働きかけは質的にも量的にも近年増大しています。これまで国別もしくはイシュー別に分かれていたNGOの連帯に、国境とイシューを越えた連続性が生まれています。NGOの活動は、市民の声が先進国の政策に直接反映されるという新たな一面をサミットに加えているのです。